今週は『相性』というのが、ピン!と閃きました。
性格は違うのに相性は合う。ってあるんよ。
だから相性は性格じゃないと思います。
相性は、たぶんその人の心の根底に流れている価値観じゃないかと感じます。
価値観とは第一義にしているもの、と言えるんじゃないかと。
究極の価値観は、魂の傾向性じゃないかとも感じます。魂の傾向性が同じ人が相性が合うんじゃないかなぁと、ふと浮かびました。
世間でよく言う性格の不一致というような軽い感じではないんですね、
魂の傾向性は。
また人それぞれの心底に流れている『自覚』が相性にも影響しているんじゃないかと。
ワシの考える自覚とは、人は誰しも本来『徳』を身の内に備わっているもの。
それを如何に掘り起こして行くか、
ここに、それぞれ持って生まれた気質と才能があるんですが、
自らを知り自らの才能に応じて掘り起こすのも、また自らなんですね。
ここに『発心』があり、それを実践して行くことを『自覚』と言うんですよ。
簡単なもんじゃないんですね、自覚というのは。
「ああ、そうなんだ」と思うことだけでは、自覚じゃないんです。
それは単なる思い付きやと思います。
また適性というのは、伸ばすべきところさえ伸ばせば良いのではなく、
抑えるべきところを抑え、伸ばすべきところを伸ばして行かなければ、
人としての成長とは言えない。
自らを律するとは、そういうことを言うんだと思う訳です。
自らを律して後に、何を為さんとするかを思う段階ではまだまだ自覚とは言えない。
何を為さんとするかを思い、その自らの思いが、決して独り善がりにならないよう言動を省み、
実践して、それをまた独り善がりにならないよう周りに広く耳を傾け、名実共に、何を為さんとするものぞ、と知ること。
これを『自覚』と言うんです。
中々、この域に達するのは難しいんだけど、
やっぱりこういう心理なんだとワシは感じています。だから、自分の中では心掛けていますよ。
この『心掛ける』事が大事で大切なんやと思う訳です。
良心の声に耳を傾けることは、無謀なほどの要求を良心は言わないと思うんです。
持って生まれた気質に応じた意見を述べて来るんですよ、あなたの良心は。
しかし良心の声だけでは不確かなんです。
何度も何度も精査し、(ほんまに間違いないんか?この良心の声は?って自問自答し)
実践し、その中に見えて来る良心の声でなければならない。
これもまた難しいんだけど、そういうことなんだと思えたら、自覚に向かえる心の道が拓けて行くんだと感じます。
他人から何かしてもらった時あなたは、その人の『心を、想いを』相手と同じ心で、想いで、受け取っているでしょうか?
してもらって当たり前のような感じに陥ってないでしょうか?
何か実績を作ったから給料を上げてくれた。
あなたは、まぁそれくらいしてもらって当然くらいに思ってないでしょうか?
社長の心を、想いを、同じくらいのレベルで受け取らな、いかんのよ。
と多くの人に言いたいなぁ。
ニュースで、スーパーボランティアと呼ばれている尾畠春夫さん(あのおじいさん)が、子供達に言うてましたね。
『掛けた情(なさ)けは水に流せ。受けた恩は石に刻(きざ)め』って話しているのを見て、
ワシはその瞬間、涙が出たわ。ええこと言うとるなぁほんまや、と。
それを地で行っているのが、あの尾畠春夫さん。
自分のボランティア人生を生き生きと楽しんでいる。
あの尾畠春夫さんのような人を『人間としてのエリート』と言うんですよ。
そう感じませんか皆さん!
中々出来ませんよホンマに。世の中の『エリート』に対する認識が間違ってるわなぁ。
掛けた情けは水に流せは、あなたが何かしてあげたことは忘れなさい。ということや。
「あの時、してあげたのに。」思うなっ!っちゅうの(笑)
あなたが何かしてもらったことは生涯忘れるな。ということですよ。
こういう心境に、心底共感できる間柄なら、相性は合うんじゃないかなぁ、と。
心底ですよ、心底。上部(うわべ)の共感じゃないですよ。
本当に相性の合う者どうしで仕事したり、生活したり、生活出来ていることが、味わい深く幸福を感じるんだと思う訳です。
その為に、お互いが、ワシが先に述べた自覚を再認識してほしいのです。
そして、お互いが自覚ある人生を模索して行きませんか。ねぇ。
ちなみに、ですが、スーパーボランティアの尾畠春夫さんは、
魚屋を経営する前に、二十歳そこそこで生活の為に鳶と土木の会社に安月給で就職していた時期があるようで、
その体験が50数年経って、被災地でのボランティア活動に役立っていると言ってるんですよ。
だから、過去の自分の体験を生かすも殺すも自分の考え方次第ということやなぁと感じますね。
人生に無駄は無い。を実現させて行きましょうや。