今週は『人生の深さを身に付ける自覚』について思うことを。
全ては『観念』することから始まるんだけど観念していない人が、
ものすごく多いと思いますねぇ。
この『観念』をせずに行動をしても、人生の意味に、味わいを感じないんじゃないかと思う訳です。
『観念する』とは、いわゆる甘いも酸いも体験しながら、
トコトン自身を内観し尽くした時に、
『あぁ~自分が生きる道は、役に立てる自分の生き方は、これしかないなぁ。』と、
神妙になる心境のことを『観念する』と言う。と思うんです。
だから、観念して生きている人は、芯が強いんですよ。
うちの社員全員に芯の強い人間になってほしいから、
また何が遭っても、動揺しない心を備わってほしいと願っているから、
あたふたせず、物事に対処することが自然体で出来る人間になってほしいから、
人生を歩む考え方や、物事の捉え方をしょっちゅう話しながら、
日々の業務に意味合いを必ず話し、丁寧にこなすよう訓練しているんですね。
先ず、知的理解を与え日々の業務で反復訓練させない限り、身には付かないと思うなぁ。
普通の人はワシのこういう言動を、うっとうしい、と思うと思うんですが、
うっとうしいと思っている内は、
観念なんて出来得ないと感じます。
あぁ、有り難いなぁと思える人は、観念出来得る人間やと感じますね。
人間として観念して、生きてほしいから、大事なことは口酸っぱく言わな、
いかんのよホンマに。
ワシの亡き師匠はこう言うてました。『繰り返し言う勇氣を持て』と。
社員に口酸っぱく言うのは『会社の親』としての願いやからです。
また、観念は、考えて出来るもんじゃないんです。
沸々と、湧き上がって来るもんやと、ワシは思うんです。
だから、教えたからと言って、沸々と、湧き上がって来るもんじゃないんですね。
絶対零度から沸々と、湧いて来るものです。
皆さんは、沸々と湧き上がって来る感覚になったことがありますかねぇ?
自分は、これしか生きる道がないなぁ、
これしか、自分が誰かの役に立つ生き方は、出来ないなぁ、って、
沸々と湧き上がって来た体験はないですか?
沸々と湧き上がって来るものが、理念なんです。
理念とは、人生の究極目的のことを言うんですよ、皆さん。
理念って、何も経営者だけに存在するもんじゃないんです。勘違いしないように。
人生の目的である人生理念、つまりあなたの人生経営の理念です。
考えて作るもんじゃないんです。
トコトン自分を追い詰めて、極端に言うと、血ヘドを吐くくらいのところまで追い詰められた心境や、
内観し尽くして、湧き起こって来るもんなんです。
だから、観念している人の言動は、観念していない人からは、
理解が出来にくいかも知れません。
でも、言っている事が『人として、まともな事』なら、
理解しようと心を傾けてみては、どうでしょうか。
観念して人生を歩むことで、自分の人生を、より味わい深いものにし、
より高みに導いてゆくものになってゆくと感じます。
だから昔から『本真者(ほんまもの)の師匠』
と言われた人は弟子に対して、
『観念せぇっ!!』と喝を入れて来たんだと感じますね。
そこには、愛が存在しているんですね。
情が存在しているんですね。
思いやりが存在しているんですね。
だから、観念して、今から、あなたの真の人生をスタートしませんか!と言いたいんです。
昨日までは、リハーサル。という考え方で、今日からスタートしてほしいなぁと思う訳です。
また、観念したら、死に対しても不安にならないと感じます。ワシが、そうやもん。
覚悟が備わっているから、いつか来るであろう寿命が来た時、
『あの世』とやらに行く訳ですが、怖さは無い心境ですワシはね。
人間は病気で死ぬのでなく、事故で死ぬのでなく、自殺や他殺で死ぬのでなく、
寿命で死ぬ。
これを観念の域で信じられるか、どうかなんですよ。信じる信じないは、
人それぞれですが。
寿命で死ぬんだと観念したら、死は怖くないという心境になると感じます。
あの世には六道が在ると仏教は説きます。
六道とは、地獄→餓鬼→修羅→畜生→人間→天という、
あの世で住む世界のこと。
どこに行くかは、閻魔さんが決めるんじゃなく、
自分の生きて来た言動や生き様で、自動的に振り分けられると考えてみては、どうですか。
まさに、大いなる自業自得で、行き先が決まるんですね。
ワシの好きな人物に、源義経がいます。
義経と家臣である弁慶の詩に、ワシの大好きな詩があります。
弁慶が言います。
『六道の辻の巷で待てよ君(殿=義経公)、遅れ先立つ習いありとも。』と、
今は戦の最中。
本来なら、家臣である自分が先に死ぬものですが(遅れ先立つ習いありとも。)
戦ですから、どっちが先に死ぬか分かりません。
もし、殿(君)が先に逝くことになりましたら六道の辻の巷で待っていて下さい。
という意味です。
そしたら、義経公は、こう返しました。
『いつの世も、またいつの世も、巡り逢わん染む紫の雲の上まで』と。
何度生まれ変わってもまた、巡り逢おうぞ。
染む紫の雲の上(天上界の最高の住む世界)
に行くまで。という意味です。
こういう人間関係が、現代社会の、経営者と社員、夫婦、友人等の間で、
心底感じられる心境に成れた人を、
『幸福な人』とワシは思うんだけどねぇ。
そういう観点で、あなたは今、幸福ですか??
観念してますか??内観されたし。