世の中乱れとるなぁ。政治も人の心も会社も相撲も各団体も世間も乱れとる所、多いように感じるなぁ。
乱れの反対は調和。調和とは和であり、美です。
「和」とは煎じ詰めれば常に一つであり、開けば無限に拡がるものを言うんやけどね、哲学的には。
例えば、和琴が奏でる和音はそれぞれが異なる音階を持つ弦によって生じます。
異なる音階を持つそれぞれの弦が、お互いを生かし合うことによって初めて、いい感じの音を醸し出します。
つまり、異なるから、事が成るんです。これ解りますかねぇ?
また、琴は弦が鳴るんじゃなく弦と弦との間にある空間が鳴っているんです。弦楽器は、全てそうです。
一音、一音が空を含みその空は無限の拡がりを持っている。
そして複数の音が和音という一音となって、宇宙に鳴り響くんやなぁと感じます。
五本の指も同じ。五本の指それぞれが、同一の働きをしてはいないんです。
それぞれが個性を持って、親指は人差し指の真似をせず、
人差し指は独自の立場を生きている。
小指は、一見不要に見えても、この働きが無ければ、物は持ちにくいんです。
剣道で使うなら、働きが有るとも思えない、この小指が実は、中心の働きをしていると言えるほど重要です。
ゴルフもそうですね。
このように、それぞれが異なった個性を持ちながら、異なった働きをしながら一つの目的一つの意志で、ある物を持つという「一つ」を生きています。
これが「和」なんですね。和とは、それぞれが、自分の個性を自覚して
その個性を充分に生かして、自覚のある役割分担を実践している状態を言います。
だから和とは「本当の自由」とも言えます。単に仲良くするという意味ではないんです。
自由とは、それぞれの個性を充分に生きながら決してお互いに他を侵さず、
しかも全体が自然体で一つの目的に沿っている、目的を果たしているものを言います。
自然体なんです、何事も。自分の欲求によって作り上げられたものは、
自分以外との接点を持ちません。自我が出るから自然体じゃないのよ。
当然、和は成り立ちません。
在るべき所に、それぞれが収まっている状態が和なんです。
これが「らしくある」世界やと思う訳です。これが「美」であり、調和です。調和とは、異なりを認めながら、一つを生きる姿です。
国が、会社が、家庭が調和した状態に成る為には、一人一人の個性を、
異なりを認めながら中心である人物の志に共感して、共通目的に納得して歩むという「一つ」に目覚めることが大事なんです。
歴史上の哲人、達人は「先ず己れを知れ」と言っている。
一人一人が自分の特性を知ること。そこに自我がないか、
自問自答することが大切。
自惚れずに、そして卑下せずに。それには、究極目的を描くことなんです。
自分の内面を静かに見つめてみること。自然体が一番です。
果たして、国の、会社の、家庭の中心人物の思いが志に成っているでしょうか?
志に成っていれば、中心の人格になるんですね。
中心人格の志が、国民一人一人に、社員一人一人に、家族一人一人に届いているでしょうか?
また社員達は、会社に於いて、各部署に於ける各人の職分を自覚して働いているでしょうか?
その自覚こそが、組織(国、会社、家庭)を形成する細胞核になるんです。
つまり、自覚の覚は、核なんです。
組織に生命を吹き込むものに成るんです。そうして初めて組織は活性化するんですよ、皆さん!
だからワシは、理想の零細企業を目指しているんです。
会社の中心人格である自分(ワシ)の理想を、志を全員に理解納得してもらい
一人一人が、 自然体で、自分らしく行き切ってほしいと願っているからそこに全身全霊を懸けています。
全身全霊を懸けれる人数が、今の人数やなぁと感じているから、社員の規模を多くしたくないんです。社員一人一人の人間の器は大きくしたいですがね。
何故か?それは、社員一人一人に、死ぬまでに起こる様々な、
問題を自分で克服できるように成ってもらいたいし、
本当の自分らしく歩んでほしいからなんです。
ワシは、己れを知っているし、自覚しているからです。
人数が多くなったり、支店とか場所が複数になると、香川湧慈節を全員に、
丁寧に、全身全霊で関われないと、自覚しているからです。
調和=美=和を実現する為に。