自分が「この人!」と思っているなら、支えなさい。
と言いたい。
自分に都合良い時は、支える。都合悪くなると支えないのは「支えている」とは言わないんです。
自分が「この人!」と思う人には、その人がヤル氣になる言動、
癒される言動をしてあげるあなたの努力忍耐が大切なんです。
それが、将来に亘り、お互いの充実につながって行くと思えてなりませんねぇ。
「支える。受け入れる。」と言うのは、都合じゃないんです。丸ごとOKの心境なんよね。
「心配しているから」と言うなら、文句を言うんじゃなく、協力してあげることが大切。
相手が、元氣が出る、ホッと癒される言動。
文句が出そうになったら、踏み留まる努力。
感情は、どうすることも出来ませんが、その後どう行動するかは、自分が決めることが出来るという「自由」があるんです。
カチン❗と来るのは、感情だから仕方ないんです。
カチン❗と来たら一旦瞬時に止めて、次に何するかを瞬時に決めることが出来るという「自由」があるんです。
カチン❗と来たら瞬時に止めて、次に烈火の如く叱りつけた方が、
相手の為と感じれば、わざと怒鳴り散らす、とかね。
これ、中々の精神性、思慮が無ければ出来ないんですね。
何が言いたいか。
つまり、何が起ころうとも「どう行動するか」は、自分が決めることが出来るんだ。と言うとるんです。
これが「自由自在」と言える中の一つです。
根本的な性格は、変わらないと思います。が、
ものの考え方や、見方や捉え方、行動は変えることが出来るんですね。
自分の感情をコントロールする訓練は人生に於いて、
とても大事でクオリティーを高めます。
やっぱそれには、良書を読む習慣や、この人深いなぁと思える人とめし食べたり、一杯やったり、するのよ。
また、歴史上名の残っている人物の生き様に学ぶんです。
何で、何百年も何千年も昔に生きてた人物の名が残っているのか、
考えてみて下さい。
とてつもない数の人間が、過去に生まれ死にしているのに、
名が残っている人物の数の少なさ。
やっぱりそれは天が神が仏が、後世の我々に生き様を学ばさせる為に、
残るようにしてくれているんだとしか、思えないんだよね。
ほんまに。
何百年何千年と、その人達の考えや行動が残っているということは、今からの我々に、起こるであろう問題を自ら解決して行く道しるべになるんですね。
だから我々も寿命来るまで、自分の生き様を見せることに意識して毎日歩むことが、結局自分の魂の充実につながるように思えるのです。
あなたは、あなたの、考え方、行動、つまり生き様を自分が観察して、
恥ずかしくないかを自分の心の良心に聴いてみる習慣は大事やと思います。
他人が何と言おうと、自分の良心に恥じない生き方(ものの考え方や行動)を毎日したらええんじゃないの。と言いたいねぇ。
あと、自分の「思いの水準」を高くしていないと、自分のレベルは高くならないと思いますし、繊細な事に気付かないようになってしまうんですね。
自分の心のレベルが低いままだと、その程度の人としか出会わなくなってしまうと思うんです。
自分の心のレベルを上げる。思いの水準を高くすると、
感性が豊かに成って行くと思います。
生活水準も大切だけど思いの水準、つまり思考水準を高める生き方がおもしろい人生に成ると、思えて仕方ありません。
自分の人生、おもろいなぁ!と感じたかったら、思いの水準を高め心のレベルを上げてゆく行動しませんか!