人に寿命があるように、会社や、お店にも寿命があるように思う。
また、人との付き合い、つまり人間関係にも寿命があると思います。
仲が良かって長年付き合っていても突然疎遠になって、以後たまに偶然出会っても、
何かしら、しっくり来ないことがある人いると思うんです。
だから現実に今付き合いが続いている人で、仲がギクシャクしている人が居るとしたら、
縁の寿命が来ていないんだと思ったらええのです。
誰かに頼まれた訳じゃないのに、嫌な人と付き合っているのはあなたの弱さやと感じます。
自分の意志をハッキリさせて行くと、縁が薄い人は、自分から離れて行ってくれると思います。
目に見えない縁が、あなたがハッキリすることで相手にも霧が晴れるようにハッキリして来るから、
相手があなたのことを嫌なら、相手から離れて行ってくれるんです。
日本書紀に「維新」の語源が書かれています。
維新とは、神と人間の合作によって、日々新たに努力すること。と書かれています。
現実の世界で維新をしないと、縁をハッキリさせることは出来ないと思います。
真に縁深い者同士で一緒に働いたり、付き合って行くことが、充実を感じながら生活出来るのに、
あなた自身が、あなたの良心に従って、ハッキリすること。
ハッキリとした言動をすることで、いわゆる「腐れ縁」が切れて、深いであろう縁の人達と現実が進んで行くと思います。
目に見えない世界の縁をハッキリさせたいなら、現実の世界で維新を為して行くことやと思います
。
維新の意味は、神と人間の合作により、日々新たに努力することを言い、そして自分の良心で自分の短所を克服することを言います。
その為には、目に見えない神に、あなたの心を向けて、誰にも具わっている良心で、自分の短所を克服する言動をするしかないと思います。
斯く言うワシは毎朝神棚の前で、こう言うています。
「神の御心(ミココロ)を我が心とし、今を新たなる始めとして、日本の国体(柄)再興に尽力する所存です。」と。
本心から、そういう心境なんですね。
取り引きはしないんですよ。
つまりギブ&テイクじゃないんです、ワシの生き方は。
こんな非礼な失礼な行為はありません。祈りの語源は、意宣(ノ)りです。
人間関係も同じ。自分の意志をハッキリと伝えること。テイク(求める)してはいかんと思うんです。
ギブ(与える)だけでええのです。出来ることなら、差し上げなさい。を昔から実践して来ましたワシは。
よく周囲から「香川さんは気前がいいねぇ。」と言われますが、皆さん、気前がいいということを勘違いしている人が多いように思います。
例えば富豪が多額の寄付をしていますが、ワシはそういうのを「気前がいい」とは言いません。
ワシの言う「気前がいい」は、江戸っ子気質という感じです。
つまりお金は決して裕福じゃないんだけど、他人に惜し気もなく、お金を使ってあげている人を
皆さんは、したくない人にまで、変な気を使って何かをするからストレスが溜まるんですよ。
お金に余裕がなくってもしてあげたい人には、してあげればええのです。
ワシみたいに(笑)