ワシは恩に感じた人に対して、恩に報い続けたいという心境から、
恩に感じる。っていうのは、究極は「命の恩人」というものから「あぁ、ほんまに有り難い!
助かったぁ!あの人のお蔭で、この出来事があって、ほんまに有り難いわぁ!」っていう感じのものを、ここでは言います、ね。
助かったわぁ、有り難うねぇ。っていうことは、皆さん沢山あるでしょう。
でも、ほんまに!あなたのお蔭です!っていうようなことをしてもらった人に対して、あなたは、
また、ずっとその想いは消えてないでしょうか?
対個別対応になると思いますよ、その人の喜んでくれることは。
有り難迷惑になってもいかんしね。
ワシは性格からか、恩に感じる人や、意氣に感じて所属する組織に対しては、
ずっと継続しています。気持ちやから。
例えば、年に一度、近況を報告することを数十年続けていることとか、たまに、食事に誘ってあげるとか、その人の心の琴線に触れる事柄に誠実に接しているとか、黙って、その人が喜ぶことに尽力するとか、
最近ふと思ったんですが、人生をより充実させてゆく運を呼ぶ行動が実は恩に報い続ける行動なんやないかなぁ、と。
これはある意味深いんですね。
相手の一番喜ぶあなたの良心を行動に現すということやから、です。
これを哲学的に言うと「らしく生きる」ということなんですよ。
「らしく」とは自分勝手ではなく、時と場所と立場に「瞬時に相応しい行動」が自然体で出来ていることを言うんです。
だから、人間の永遠のテーマだと思うんです。
エモーションの人生目的である「志高く、らしく生きる」は、
中々、出来んですよ。
全ての出来事に一番相応しいであろう言動を現すことは。仕事、人間関係、全部です。
かなりの人間洞察力や、愛情溢れる精神性や、物事の道理、情理を身に付ける日々の努力をしていないと、ね。
皆さん、あなたの記憶を振り返ってもし、恩に感じた人が居るなら、今からあなたなりの、恩の報い方にチャレンジしてみては。
「らしく」とは「相応しい行為」とも言えますから、中々難しいでぇ。
でも素直さから来るあなたなりの報い方は必ずありますから。
こう考えてみて下さい。
目に見えない世界の何者かが、あなたに、恩に感じる出来事を、その人を介して、してくれたんだと。
昔の出来た武将は、こう言っていました。
「何者が、おわしますかは知らねども、ただ忝(かたじけ)なさに、涙こぼるる。」と。
物事が上手く行った。勿論、あなたの努力はあるでしょう。でも出来た人物は、このように捉えて来たんでしょう。
何者が、おわしますかは(居るのかは)知らねども(知らないけれども)
と言うとるんですよ。
如何に、誠実で、芯が強くて、礼儀正しいかが窺い知れますね。
あっ!と浮かんだ人が居たら、あなたの良心を現して、続けてほしいと願います。