人は自分の好きな人から認められたい、褒められたい、と思っているものです。
そう思いませんかねぇ?
だから自分の好きな人の為に役に立ちたいと努力するし、褒められたいという一途さを感じます。
褒められたいと、一途に努力する人は、しあわせ感があります。
またそれを受ける人も、しあわせ感を味わえるもんです。
そういう観点から考えると中小零細会社で言うなら、社長は社員から好かれていることが、
相思相愛の関係というのが、人間関係の幸福感の原点じゃないでしょうか。ワシはそう思います。
自分(あなた)に認められよう、褒められようと一途に努力している人と接したら、やっぱり、嬉しいもんでしょう。
保身の心(ゴマすり)からでなく、純心な一途さから湧き出て来るものは健気さを感じますね。
その人なりの「健気な努力」というのは美しいもんです。
あなたの社員は、社長の考えを理解しようと健気に努力してくれているでしょうか?
与えられた職責を果たす努力をしてくれているでしょうか?
社長の考えを理解しようと努力するというのは、社長の「言うことを聞け」では、ないんです。
勘違いせんように。
社長の考えとは、経営の目的である理念と理念を実現させる為の経営方針のことです。
だから社長の考えを理解しようと努力してくれ!と発信していますか?と言いたいのです。
社員の、経営理念と経営方針に対しての習熟度が高まっているなぁと社長自身が感じたら、
与えられた職責を、経営方針に従って、一所懸命果たそうと健気に努力している姿を見たら、
社員が「自分が社長だったら、自分の仕事振りをどう思うだろうか。」と自問自答している心中が分かったら、
そんな社員のことを可愛く思えるもんです。一生面倒見てやるぞぉって思えるもんです。
違いますかぁ?
だから経営者が先ず、理念や方針を、何百回も何千回も発信し続けることが大事なんです。
何故繰り返し訴えないといかんのか?
それは納得していても、人間はついついウッカリ忘れるからです。
具体的に諭すように語らないと相手は分からんのです。
発信している考えが、「まとも」なら、社員の共感を呼ぶはずです。
まともな人間なら、そういうあなたに付いて行きたいと感じるものです。
あなたは、あなたに対して健気な努力をしてくれている人に、心を傾けていますか?と言いたいのです。
あなたは周囲の人から好かれていますかねぇ?
特に経営者の人。あなたの社員から好かれていますか?!
あなたに認められたい、好かれたいと純心な心、一途な心で努力してくれている社員が何人いますか?
社員が自分の役割を自覚して自主的に取り組んでいますか?
また、その行為に報いていますでしょうか?
まるで小さい子供が親に認められたい、好かれたいと一途になっている行為いに、心を傾けているよ
こういう行為は、保身でやっているんじゃないんですよ。
純心さ、一途さが行為の基になっているんだと感じます。
人間は、健気な努力をしている人を、美しいと感じるものやし、愛しいと感じるものです。
健気さの逆に、ゴマすり的な保身で接して来る人には、嫌悪を感じるものです。
同じ、褒められたい、認められたいという行為でも、その行為をしている人の心根と、
健気な努力をしている社員であっても、能力が、何べん言うても、向上せん人も居るでしょう。
そういう社員のことを、まともな経営者なら洞察していますよ。
だからその社員のキャパの中で精一杯努力させてあげる器量を持って指導してやるんですよ。
それが「守ってやる」ということです。
正しく愛と情の経営ですよ。
一人一人の特性を、洞察することが、一人一人を活かすことにつながるんです。
経営者と社員一人一人が共通の目的の下、各人の個性を発揮しながら、
各人の任務(やるべき事)を果たしている状態、心を注いでいる状態を「和」と言うんです。
そこに、責任感と感謝が生まれるんです。芽生えるんです。
経営者も社員も純心さ、一途さ、健気さが、あなたの心の大部分を占めてほしいなぁと思った今週でした。