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「香川湧慈のインスピレーションメッセージ平成28年10月14日
想いが世界を変える-エモーション社長のブログ

「香川湧慈のインスピレーションメッセージ平成28年10月14日

商売はセンス。経営は温かさ。これが昔からワシの持論です。

まさしく、商売はセンス(ちょっとした事を感じ取る能力をセンスと言います)によるところが、

大半を占めますが、経営者自身に心の温かさが乏しければ、、、、、

ハッキリ言います。

商売する意味はありません!

商売は読んで字の如く、商いを売るんですね。

つまり、あなたの商いの姿勢を売るということなんです。

自分で自分の商いの姿勢を振り返ってみたらええのです。

いやらしくないですか?
(笑)
心貧しくないですか?

社員達に対して、温かい環境を作っていますか?(甘い環境ではありません)

社員が将来に対して、安心感を抱けていると思いますか?

安心感が抱ける施策を、実施していますか?

会社に「文化」が培われていますか?

経営者は「主・師・親」でなければ、社員が哀れになります。

会社の主人であり、仕事と人生より良く導いてゆく師匠的存在であり、

無上の愛情を自然体で注ぐ親である。

そういう人間が実は、経営者だという信念で歩んでおるんですね、ワシは。

でも、この感覚を抱いて実践している社長がほんまに少ないんよなぁ。(表面上だけが多い)

社員にしてやることが損や、って心のウェートが大きい人ばっかりやとしか思えない人達を見るにつけ、虚しくなるんですね。

社長をしている、そこの貴方。貴方の奥さんが、こんなこと言うてませんか?

「社員に、そんなにしてあげんでええのに、あんたがもっと給料取ってよ。」って。

実際に昔耳にしたんよねぇ、そんな光景を見聞きすると、あぁここの夫婦可哀想やな、って感じてしまうんよなぁ。

またこの奥さんアホとちゃうかと思うと同時に女房教育が出来ていない哲学の無い社長やぁ、って思ってしまうことがありました。

あんたの旦那つまり社長の給料は誰が稼いでくれているか、全く分かっていないんよね。

業務をちゃんと実施してくれている社員達が社長の給料を稼いでくれていると思えたら、

感謝こそすれ、損するって感覚にはならへんけどねぇ。

また自分の子供にしてやることを、損するって、思わんやろうに。

建前と本音。権利と義務っていうのは、心の充実には至りません。

ここが心で分かっていない社長が、まぁほんまに多いこと。情けない。

「情けない」って、あなたの心に「情けが無い」のよと言われているということです。

身近な人達に、あなたの心に情けが無いなぁと、見抜かれているんですよ。言わないだけで。

そんなことも気付きもしていないんやと思うわ。それを「見苦しい」と言うんですね。

🙏頼むけん、ワシの知り合いの社長達にだけは、見苦しくなってほしくないんよなぁ。ほんまに。

社長から経営者に成れてないんよなぁ。社長は成ろうと思えば誰でもなれるんです。

自分で商売始めたら社長やからね。

でも、どれだけの社長が経営者に成れるんやろぅか?

経営者を目指そうとしてるんやろぅか?

あなたの商いの姿勢が、全てです!

見苦しい心になってませんか?

建前と本音になってませんか?

権利と義務になってませんか?

理屈で子供の良心が育たないのと同じで、理屈で社員の良心は育ちませんから。

人間関係は、責任と感恩しかないのになぁ、と訴えたいんですね。

あなたの社長としての、責任感の強さ、

つまり、社員達を、人間としての成長と業務能力としての成長を導いて行く責任感の強さ。

社員達が将来に安心感を抱ける会社としての施策(福利更正と事業の着実性と収益性の構築と

人格教育の環境)や

心温かくなる風土創りを本心から、やりたいと思う社長自身の心を高めている人が、

経営者に成る資格があるんだと思うのです。

そういう気の無い人は、人を雇ってはいけません。自分一人で商売したらええのです。

心温かくない人に雇われる人ほど哀れなもんはないんとちゃうかなぁと、思うとるんです。

社長自身に人生哲学のない商売をしているとしたら、それは一種の投機です。

投機つまり、ギャンブルです。

「人生はギャンブル」というのはある意味達観した意見とは思いますがワシの言うギャンブルはいわゆるパチンコやボートレース、競馬、麻雀、先物相場取引等々です。

つまり、あなたの社員達をあなたのギャンブルの道具に使っていると思われても仕方ないような思いと行動をしていませんか?

経営者は人生哲学に則った商売を実践するものです。

あなたの社員達に対する潜在している心の様相をあなたの子供が覗いたとしたら、

あなたは自信を持って見せられますか?

余談ですが、人が見ていようが、見ていまいが、山奥に咲く桜のように、生き切りたいんですワシは。

「見む人の、ためには在らぬ、山奥の、己(オ)のが誠を、咲く桜花」

詩にしたら、こんな感じですね。

山奥の桜は、一生を通じて、誰かに見てもらおうとも、思っていないだろうし、

ただ己のれの自覚した一生を歩んでいるとしか思えません。

陽の目を見ようと、見まいと、己れの誠を咲き切りたいですね。

また果物もそうですね。山奥に実る果物は、寿命が来たら、枯れるんです。人の手に触れた果物は、枯れずに、腐るんです。

腐った人生は、嫌やなぁと思います。枯れて寿命を迎えたいですね。

商売は社長の商いの姿勢を見られているんです。

してあげることが損や。って思う心から、脱皮してほしいと、

ワシの知り合いの社長達の情けない言動を、ちょこっと見聞きするにつけ、

今週のメッセージは、これが言いたいと思った次第です。