「商売の規模というのは、経営者の好みによって決まる。」
どういうことかと言うと、起業する人って、やりたいことを事業としてやる訳やから、
経営者の好みなんです。
後継者も自分が納得して、その事業を後継してるはずなんですね。
だから、やりたい事の業態が例えば総合複合レジャー施設だとしたら、数人じゃ出来ないわね。
やっぱり数百人規模になると思うのです。
何が言いたいか。
やりたい事業によって、大人数にもなり、少人数にもなる。
どちらでも「経営哲学」によって充実出来る。と言いたいのです。
だから、事業つまり商売は経営者の好みですが、そこに携わる社員皆と充実を味わうには、
商売から経営に昇華せな、いけませんよ。と言いたいのです。
それには経営者始め、社員と共に、仕事を通じて人格を研き続けないと、
人生の真の充実は無いと思うのです。
頭の良さや業務能力というのは”人材”のレベルだと思うのです。
本物というのは、”人物”である。と思うんです。
“人材”は学校で育てられるかも知れませんが、”人物”というのは、学校では育てられない。と思うんです。
人物は、中々、育てられるものではないと思うんです。
一人一人が、高い志を抱いて生きる人たちの中から、歴史が育てるものだとも言えるんじゃないかと思うのです。
ただ、ワシが思うに、現代社会に於いて”人物”を育て得る機関が「会社」という存在だとも言えると思うんです。
それは、経済活動を実践する中で、人格教育を実践できる環境を創ることが出来るからです。
それを「経営」と言うんです。
経済活動しか、していないなら、それは単なる商売だと思うのです。
商売を経営に昇華させることが充実を感じるものです。
また、商売で言う「お金」は信用を数値化したもの。とも言えます。
また、信用を蓄積してゆくのがビジネスであり、仕事です。
「あいつと付き合って損した。」と思われるのが人生で一番良くないこと。と思うのです。
だから「あの人と付き合って、本当に良かった。」と思ってもらう言動をするのが、充実に至ると思うのです。
あなたは、周囲から「あの人と付き合って、本当に良かった。」と思われていると感じますか?
「毎日正しく苦しんでいますか?」と投げ掛けられたら、どう感じますかねぇ?
そういう人の中に、将来”人物”に成る人が居るように思うのです。
毎日、正しく、苦しむんです。これ深いですよ。
単に苦しんじゃダメなんです。ひねくれ者に陥ってしまうからね。
自分に正直に生きていたらまず苦しむことはないと思うのですが、
さぁ「正しく苦しむ」って?
たまには、こういうことを考えてみてはどうですか?
今、苦しんでいる人。
ひょっとして何かウソついてませんか?
ウソついていると、苦しみますよ。
正しく苦しんで下さい。
人生の充実が待ってると思うんですよ。
“人物”と言われる人は、
たぶん皆、正しく苦しむ時期を体験してるはずだと思えるのです。
どんな状況に置かれていても、絶対に自分から「参った!」と、言うてはならんのです。
自分から「参りました。」と言っている人に、神さんも応援のしようが無いと思うのです。
ダメになった人というのは「自滅」しているんだと思うのです。
だから、絶対に、自分に、(大声で〓→)負けたら、負けたらいかんぜよっ~〓
とエールを贈ります。