人は、それぞれ感動する点、感点が違う。
同じものを見て同じものを読んで、同じような体験をしていても、感じる点が違うなぁと感じます。
「感点」に、次元の高い低いがあるのかどうか知らないが、
ワシは、より高い次元での感点の一致する人達と関わりたいというのが本音です。
そういう関わりが、愉快だし、鳥肌が立つ感動があります。
人間はやっぱり、純粋さが一番やと思うのです。
誰しも心のどこかには純粋さが存在しているのに、
その純粋さを発露することなく、日々を過ごしているなぁと感じてしまう人達を見ると、
何か虚(ムナ)しさを感じるんです。
何とか生活は出来ているのに、もっと物質的贅沢をしたいばっかりに、自分の心の純粋さと引き換えにしている人の多いこと。
虚しいねぇ。
少なくとも、毎週このメッセージを楽しみにして読んでくれている人は、純粋さを発露してほしいと願います。
純粋さの反対は、卑しさだと思いますね。
社長自身が多額の給料取っているのに、そこの社員の待遇の悪いこと。
何かその社長の心の貧困さ、卑しさを感じてしまいます。
ワシの知っている年配社長ですが、人柄は良いのに、また贅沢している感じじゃないのに、
しかも、会社の利益もほぼ毎年9000万近くも出ているのに、そこで働く社員の、長時間勤務で、安い給料。
そりゃ辞めるわなぁ社員達。
貧乏性なのか?欲なのか?卑しさを感じてしまうのが虚しいなぁと感じます。
自分が少しでも得しようとする行為は、見苦しいもんです。
「粗(ソ)にして野(ヤ)だが、卑(ヒ)ではない」生き方を貫く人が増えてほしいものです。
見た目は、粗っぽい感じがする人であっても、話し方が粗っぽくても正論を言い続けている。
けれど、人間性は決して卑しくない生き方です。
心が豊かな人は、決して卑しさを感じないものです。
言うことは、歯に衣着せぬもの言いをするけど、見栄は張らない。
コソコソしない。
こういう人も、希に居るねぇ、いわゆる家柄でなく、人間としての毛並みの良い家庭で育った人は、
粗にして野「ではないが」、卑しくない人が多いように感じるもの。
まぁ、中には家柄が良いのに、卑しい人もおるけどね。(笑)
ワシは「粗にして野だが、卑ではない。」生き方をしたいと思うとります。
卑しいなぁと感じる人が多いと、ほんま思います。
世間並より、お金を持っている人に、卑しいなぁと感じる人が多いわぁ、ほんまに。
また、お金に余裕が無い人には特に、卑しくなってほしくないなぁと思います。
一寸の虫にも五分の魂です。
ボロは着てても心は錦であってもらいたい。
卑しさを捨て去り、美しく生きたいものやなぁと思った今週でした。