政治は、国民に働きやすい舞台を提供するだけでええと思うんです。
後は国民が自分の力で稼げばええのです。
民主主義の欠点は、とかく働かぬ者に与えるだけの、政治に陥りやすい点にあるのよ。
何かと言えば社会保障と言ってばかり。
それは選挙に落ちると困るからやなぁ。
国民を甘やかすだけです。
為すべきを為せ。とは言わないから、ダメなんです。
また貰うことばかり考えている国民は、自らの運命を開拓することに意欲を失い、家畜になります。
家畜は主人から食べさせて貰うだけで、自分で餌を取る力がありません。
政治も会社経営も同じです。
皆「努力次第で成れる」という、働きやすい舞台を提供するだけでええと思うんです。
後は自分の力で稼げばええのです。また自力を付けないと「生き甲斐」が生じないということを自覚してほしいんです。
社会保障でもそうです。
恩恵的に利益を与えるということは、とかく押し売りになりやすいのです。
殊に人の世は、皆の価値観が違います。
例えば、酒を飲まない人が酒をもらっても喜びません。
何が言いたいかと言えば、それぞれ喜びが違うということ。
こちらが好意を持ってした事でも、相手にとって大変な不満の種になったりします。
或いは、もっと面倒をみてあげていれば、というように後悔していたことが、逆に感謝される場合もあります。
相手は「自分のことをよく氣に掛けてくれてた、感謝してます。」と。
まぁワシが長年色んな社長を観て来て感じるのは、
ワンマンで強引な社長の下で育った社員の中に、中々の手腕を持つことになり、他社に於いても非常に有能な幹部となった人は案外多いんです。
激流の中で揉まれた人間は、根性も出来ます。
あまりにも、常識的な社長の下で育てられた社員は、中々モノに成らん人も多いのも事実やと感じます。
やはり、非常識とも思えるような所で、理屈をへし折られ、その中で叩き込まれて努力した者が、大成するもんやなぁと思えるんです。
大事なことは、部下の欲するものを部下の努力によって、与えられるように取り計らってあげることやと思うんです。
その為に、常識を解っていて、常識を越える愛情で以て、激流を与える社長が、必要なんじゃないかと思うて来ました。
大体、歴史に学んでいたら、無茶苦茶やなぁと思える師匠の下で修行した弟子の中に、傑物が出とるもんなぁ。
どんな時代に於いても、
危機感は持たな、モノには成りません。
恐怖による危機感を持たそうとするのは良くありません。
しかしながら、世間というのは危機感が無ければ、
中々反省しない事も事実です。
追い詰められなくても反省する。
将来を慮って、手を打つという人間であって欲しいのです。
その為に、上に立つ者は、より高い見識と深い愛情で、部下指導して欲しいのです。
殊に叱ることは難しいもんです。
部下が過ちを犯しているのが分かっていても、放っておきたくなるのが人情ですが、それが大事に至らない前に、処罰する親切と勇氣が、本人の為に欲しいものです。
叱ってやる親切が欲しいのです。
自分の責任感情から叱らないかんのです。
その為に、部下より優れてなければ叱れません。
愛情と責任感情から叱るんです。
憤りを混じえないこと。
情があること。
涙があること。
自分の主張に信念があり、独善的でないこと。
自分が正しいと思っていることに独善性がないか反省すること。
自分だけの屁理屈で正しいと思ってないか。と反省すること。
部下に、その過ちを自覚させる説得力を持つこと。
説得の難しさは、その過ちを悪かったと思わせなければ説得力にはならんのです。
これらの条件に当てはまった人に叱られると、不思議なもんで、叱られた人は、快感に似た感情になるんよね。
叱られて、胸がスッとするから不思議なもんです。
だから、部下を叱ってやれる「資格」と「勇氣」を持って欲しいと思うんです。
まぁ、その前提が部下から好かれていないと功を奏さないと思う訳です。
「好かれる」ということは、テクニックでは好かれんですよ。
部下が、自分のことを本氣で想ってくれている。と感じない限り。
さぁ、あなたは
「人間の幸福とは何ぞや!」
「充実とは何ぞや!」を語れますか。と切に希います。
目を瞑って、人間の一生を想像したら、徐々に見えて来るはずやから。
早よ、今すぐ目を瞑りなさい(笑)