充実した人生を歩むこと。
これが自分の全ての行動の判断基準です。
自分の行動の優先順位が、これだ。と言うとるんです。
そう言うと皆さんは、そんなん誰でも、そうやん。
って言うでしょう。
じゃあ、言わしてもらいます。
皆さんは「充実した人生」ということを10代の学生にも、20代の青年にも、
40、50代のバリバリの社会人や、奥さん方にも、そして60代70代80代の人達にも、
皆が「なるほど!」と納得行く持論がぶてて、理解納得、そして、感動させることが出来ますか?!
それが、確固たる人生観であり、社会観であり、人間哲学だと思うとるんです。
ワシこと香川湧慈は、充実した人生とは何ぞや!というものがハッキリと確立して、歩んで来ました。
自分の言動の、全ての判断基準は、自分の「充実した人生を歩む」というものから優先順位が出るようにして来たつもりです。
22歳から今まで、ずっと「充実した人生とは何ぞや!」を探究して来ました。約32年にもなります。
そうやねぇ、15年くらい前、30代後半で人生観、社会観を確立したように感じます。
それからですよ。
全ての判断基準、行動基準は「人生目的に従って人事を尽くすのみ!」になったのは、ね。
いわゆるブレなくなるんですよ大本(おおもと)に於いては。
これは、うちの社員が社長のワシを長年見てて感じてるでしょう。
どんな不安な状況に置かれても、不安な顔見たことないと思います。
動じないし、常にどうやったら打開出来るんや!という姿勢を見て来てると思います。
ブレる人を見てて感じるのは、あれもこれも、気が向いたら手を出す人の多いこと。
自分が決めた「一つ事」を、徹底して努力、工夫、継続せずに、あれもこれもに、手を出す人の多いこと。
モノには成らんと思います。
信頼も得られないと思います。
がむしゃらに人事を尽くすんじゃあ、時間を無意に過ごし兼ねません。
先決なのは、
つまり、先に決めないかん事は、自分の充実した人生とは何ぞや。を探究することやと思います。
人生の目的は何なんですか?ということや。
心の中で「もう一人の自分」に質問を繰り返す中で納得度合いが高まって来ますから。
これはホンマ皆んなにやってほしい行為です。
お金がほしい。
何ぼ?
いくらくらいです。
何で?
その理由を明らかに出来ないから、ブレるんですよ。
金額は何ぼでもええのです。理由を明らかにして、
「もう一人の自分」と対話して、より納得性を高めなぁ、飽くなき満足を求めてしまうんだろうねぇ。
人間の、あらゆる営みに、
「充実させてゆくには?」と
人生を、
歩きながら、考えながら、他人の生き方を学びながら、歴史上の人物の生き方、考え方を勉強してゆくんです。
あれもほしい、これもほしい。って時間とお金を使うな!と忠告したいですね。
「日本人らしく」仕事を坦々(右往左往しない、動じない)としたいと思って来ました。
だから、日本人とは本来、どんなものの考え方や、
生き方をする人種なのかを探究して来ましたよ。
古事記、日本書紀に日本人の生き方が説かれているように感じて学んで来ました。
日本人らしく自分の正しさを貫きながら、相手の正しさも尊重出来る心の姿勢を持ちたいと思うとるんですが、ちょくちょく「我」が邪魔するんよねぇ。
修行やねぇ。
皆さん「日本人らしく」を、考えてみませんか。
そしたら、自分の正しさを貫きながら、相手の正しさも尊重出来るような心を持てるような気がします。
今週、また一つ学んだ事は「よろこび」って漢字で書くと「慶び」と書こうと思いました。
慶びは慶事というように、相手の「よろこび事」と自分の「よろこび事」という意味なんです。
「喜び」や悦に入る「悦び」は、自分だけの「よろこび」という意味なんですよ。
日本人である我々の「充実した人生」は、どうやら、日本人らしくを探究してゆくと、答えを教えてくれるような感じがします。
そして、ブレない生き生きとした人生がスタート出来るような気がしますよ、皆さん。