人は、ポロッと出た一言に、ちょっとした「しぐさ」に心の底の「心理」が現れる。
だから、周囲の人達の何気ないポロッと出る言葉を、ちょっとした「しぐさ」を、よぉ~に聴いてたら、
よぉ~に見とったら、
分かるから。感じるから。
ほんで今週は、こんな事が浮かびました。
日本人は精神も技術も繊細さも世界が唸るほどのものを持っていると思う。
例えば、デザイナーや作家の一流は、形でなく、素材を追究していると思うんです。
だから、人知れず「お客が寄って来てる」んです。
形を競っているデザイナーや作家は、息切れしている感あり、です。
中々、お客も寄って来ないもんです。有名人でも。
素材=本質やと思うんです。
一流のデザイナーや作家は、より良い素材を追究していると、自然と自分に合った形が作られて来ることを無意識に知っているんじゃないかと思うんです。
売れることや、お金のことに神経が行かないんだと思うんです。
経営者も同じ。
人間も同じです。
物事の本質を追究していると、自分に相応しい形に成って来るもんなんやと思うんです。
それを「個性」と言うんやと感じるんです。
一人一人、異なる「個性」があるから生きて行けるのです。
なのに、アンドロイドのような人間が多いと思うんです。
一人一人の個性の異なりを認めながら、共通の目的に生きるから、皆が自由に生き生きと生活出来るんです。
アンドロイドになっては、いかんと思うんです。
素材追究です。
物を買うにも「いい素材」を選ぶようにしたら運が付いて来るのにと感じるんです。
そしたら自分に合った形が出来て来るのに、その感性が無いから、
形に追われる。
お金に追われる。
世間体に追われる。
和の魂を確り持って、
和の才能を発揮したら、
ええんです。
でも今、危機に瀕してるのは「和の魂」が欠如している人が増えていると感じることです。
そして「上から目線」が大切なんです。
自分の縁ある傘下の人達に、より高い見識と教養を持って、指導してあげることが「上から目線」の意味なんじゃないかと感じるんです。
なんか皆さん「上から目線」の言葉を勘違いしとりゃせんかいのぅ、と思うんです。
偉そうに言う、バカにしたように言う。というようなのは、上からではなく、
物事を斜めから見てる「斜めから目線」じゃないかなぁ。(笑)
自分の子供や社員や後輩を導く言動を、より高い見地から見て、俯瞰して指導してあげる、へり下って気を遣わないことを「上から目線」と言うんやと思うんです。
愛情があるから「上から目線」になれるんです。
親が子供に気を遣ってへり下るような言動しとって、導くことが出来ましょうか?
監督が選手に気を遣ってへり下るような言動をしとって、導くことが出来ましょうか?
ワシは自分より人生の先輩に当たる人が、自分にへり下るような言動されると、気持ち悪いし、尊敬は出来んわな。
やっぱり先輩は先輩らしく。社長は社長らしく。が、大切と思うし、当たり前と思うのです。
「上から目線」というのは、より高い見識、見地に立って、教養を高め哲学を深めて、傘下(自分の縁ある社員や後輩や子供)の人達の「生活の充実」を願っている言動のことやと思うんです。
これが、ワシの「ただ自分らしい」感情です。
「正しさ」とは「ただ己れらしいこと」と学びました。
で、今週こんな質問をされました。
香川さん、あなたの「ただ己れらしい正しさとは何ですか?」と。
いつも思ってるから自然に口に出ました。
社員の生活の充実です。
経済だけを言うとるんじゃないんです。「身体、心、経済、人間関係、向上心」のバランスと高さを以て「生活の充実」なんです。
つまり、常に社員が「晴れ」(氣力が充満している状態)の状態が自分の幸福感なんです。
ごく普通の親が家族に抱く感情と同じです。
自分の家族が常に晴れの状態でいてほしいと願う親の感情ですね。と応えました。
一人一人の社員に、ワシの言う「生活の充実」を自覚して、習慣にしてほしいと願いながら指導しとります。
だから、そういう会社を、カッコ良く証明付けないかんのです。世間に。
一人でも多くの経営者が、まともな親の感情で、社員に関わってほしいからです。
そうせな世の中、良うならんのです!
その為にワシが証明せな、いかん!と燃えとる日々を歩んどります。