「より充実を目指す」
これに挑戦することが人間の本筋であり、王道じゃないかというインスピレーションが浮かびました。
銭儲けせんと事業は成り立たんし、事業が成り立たないと、人も育てられんのです。
つまり「金無かりせば、
事業成り立たず。事業無かりせば、人育たず。」なんです。
また「人育たねば、事業成り立たず。事業成り立たねば、金儲からず。」なんよね。
が、事業のことだけで留まっている社長が多いように思うんです。
「育てる」とはどういうことか知っとりますか?!
「素(そ)を立てる」というのが、育てるの語源なんです。
つまり、その人、その人なりの、人間としての素質を育んでやるんです。
銭儲けも、そこそこ出来てる。
事業も、まぁまぁやれてる。
それだけで、ええんですか!とワシは言うとるんです。
事業の為の「人育て」に終わっては、つまらんと言うとるんです。
あんたは飽く無き銭儲けだけに、これからも突き進むんですか?
社員には給料さえやっとったらええんですか?という、もう一人の自分の声が聞こえへんの?と言うとるんです。
欲望の満足感を求めるんじゃなく、納得の行く人生を歩むこと。その納得度の質を高めることに挑戦する日常を歩まな、いかんと思うんです。
自分と社員全員の心の幅を広め、崇高な精神を養い、高め、奥を深める。
そう考えると、まだまだ、やらないかんことが、ようけあります。
経済活動しながら人格教育をするのが「経営」なんです。
社員達に「人格向上」できる環境を作っているか?
社員一人一人の心の幅を広げられる、奥を深められる、精神性を高められる環境を作っているのか?
ちなみに、
うちの今年のスローガンは一、視野を広めること。
一、教養を身に付けること。
一、技術を磨くこと。
一、人とのつながりを継続発展させること。
なんですが、
この四つを日々、自発的に実践したいと思い、行動する環境を作ることに心を注いどります。
やっぱり、こういう人間性向上に挑戦する日々が真の幸福と言うもんなんじゃないかと思う訳です。
こういうことを考えると、「こうやったらいい」という答は無いと思うんです。
千差万別の会社の有り様。個人の人生の有り様が存在するから、それぞれに相応しい環境を整備して行く熱い念(おも)いと実際の行動、様々な人から学ぶ姿勢、素直さが求められると思うんです。
今の現状に「まぁまぁええかな」と思ってる特に社長さん達!
皆さん方の社員の人達に、人間性豊かに、人格向上したいと自主的に促す会社としての施策を実践してますか?!と問うとるんです。
あなたが、仕事に飽く無きチャレンジし、努力して来たことは、想像出来ます。
だから、今の規模や環境があるんだろうけど、それで満足しとったらいかんのとちゃう?と感じるのです。
銭を儲けて行くことは、
とても大事。
けどそこで働く全員の人格形成を、より豊かにして行くことの学びと実践に取り組むことに挑戦せなね。
「つ・ま・ら・ん」ケチ臭い社長に陥りますよ。と言うときます。
経営者は人間教育者でもあるんです。
社員に対して給料をちゃんと支払う「主人」であり、
生き方の「師匠」であり、
愛情深い「親」でなかったらいかんのです。
自分の周りの縁ある人達の「素質は何か」を観察し洞察するんです。
それを感じたら、素質を育むにはどうしたらええんや。と、あなたの真心を注ぐんです!
そういうところに心を向ける人間性を備えてほしいと思うとるんです。
そういうところに心が向かんようなら、つまらん人間に成り下がるでぇ。
そういう人は、自分より小の者を侮る傾向があるんですよ。
「小を侮る者、小また侮られん。」という言葉があるんです。
自分より相手が小の者であっても、決して侮っとったらいかんでぇ。
その小の者から、あなたも侮られてる。っちゅうことです。
分かりやすく言うと、どんな人に対してもバカにするな!アホにするな!という教えです。
小の者からも大いに学ぶ事はあるんやで!って言うとるんです。
素直さがあれば、一度の出会いを自分のものにしてしまう感性と行動力が身に付きます。
素直な人。
感謝してる人。
明るい人。
この世は人間と天(神様)の合作。
自分の魂を産んでくれた魂の親が向こうの世界で努力してくれたお蔭で、現実の人との巡り合わせをしてくれているんだ、とワシは思うとるんです。
だから感謝の念が湧いて来て、時に涙が溢れて来るんです。
この感覚分かるかなぁ?
分かってほしいんやけどねぇ。
この感覚分かれば自分の日々の考えと行動に変化が起こるんやけどね。
だから、期待に沿えるよう現実の世界で努力したいんですワシは。
天の計らいと人間の努力。つまり、合作なんです。
あなたは、あなたの努力だけで事が進んでると思うとるんですか?
もしほんまに、そう思うとるなら、それはあなたの驕りやと思うけどなぁ。
天の魂の親が、あなたを、より良く導く為に、誰かを使って「学べよ」と優しく声掛けしてくれてると、思えませんか?
そういう「声なき心の声」が聞こえませんか?