良かれと思ってあなたが、何かをしてあげたり、人を紹介したりすることがあると思うんやけどね。
そのことが原因で、相手が大変な事態になることがあったことってありませんかねぇ?
それは相手も非があるから大変な事態になってしまうんだけど、そういう事態になった時、あなたが最初の原因を作った事実には変わりないんだと自覚する心の習慣が大事なんです。
悪気なかったは、通らんのです。
それだけあなたが軽いと言うか、深い哲学を備えていないということなんです。
神道は、悪気なくやってしまった不始末と悪気があってやった不始末は、実は、悪気なくやってしまった不始末が罪深いと説きます。
道徳的問題ではないんです。
「無知は最大の罪」という言葉がありますが、正にその通りやと思います。
歳を重ねるごとに智恵を重ねないとね。
智恵とは、自分が体験して人体実験したことを振り返って、今後どう生きるのか!ということに照らし合わせて考えを深めて行きながら、積み重ねて行くことで身に付くんじゃないかと思うのです。
この「今後どう生きるのか!」という自分への問い掛けが大事なんです。
経営者は「何の為に生きるのか!」をトコトン自分の胸をえぐり抜く思いで突き詰めて行くものです。
そして、生きる目的である経営理念が生まれて来るんですね。
では社員の立場のあなたは「何の為に働いていますか?」の問い掛けに、どう答えますか?
生活の為に働いている。
そりゃそうでしょ。
でもワシは問う。
それだけですか!?と。
社員の立場の人達が「何の為に働いていますか?」を自分に問い掛けることを、あなたの人生を「より良く生きる為に」してほしいと思うんです。
こういう自分への問い掛けをしない人を「不幸な人」とワシは言いたいのです。
銭も大事やけど、それが第一だと侘しい人生やと思えてなりません。
魂の向上になるとは思えないんです。
魂の向上になる日頃のコツは「何の為に働いていますか?」の問いに、誇りに思える自分の納得行く「答え」を模索、探究してほしいと願うものです。