『相手の立場を慮る』
慮(おもんばか)るとは、
分かりやすく言うと、
「深い思いやり」と表現すればイメージ出来るでしょうか。
世間では昔から、親に反発する子供に「お前も、いつか親になった時、親の気持ちが分かるわ。」というようなことが言われ続けて来ていますが、社員と社長の関係も同じようなものですね。
勤め人をしていた人が独立し、自分で商売を始め、
人を雇って商売をやって、年月を経ると初めて、社長の気持ちが分かりました。と言う人多いです。
体感でき、理解できるんだと感じます。
人の多くは、実際に自分がその立場に立たされないと、中々相手の気持ちを慮(おもんばか)れないもの。
親子の関係は特に同姓同士に強く現れて来る傾向が高いようですね。
父親と息子。母親と娘。
理屈じゃなく、因縁なのかも知れません。
でも因縁と片付けてしまっては我々の成長につながらないから、少し考えてみてほしいのです。
お互いに「尊敬と親しみの情」が欠けていた間柄だったかも、、、、、と。
人間関係は、お互いがお互いに「尊敬と親しみの情」が通い合っていて初めて、
相手の立場を慮れる存在に成れるのでは、と思うのです。
また、自分の「頑固さ」が、実は自分の身体にボディブローのように効いて来て、体調を壊す、人間関係を壊すという事実を多くの人は知らないし、他人事(ひとごと)にしてしまうんですね。
特に身内に対しての頑固さが。
人は、誰しもその時々の「事情」を抱えて生きているものです。
心中お察し申します。と
前置きして、
皆さん!
自分の「頑固さ」を振り返って自分の中の「良心」で自分の「頑固さ」を直して行ってほしいのです。
自分の中の良心でしか、
実は直らないようになっているんですよ。
何事も、自分で問題意識を持ち、自分で考え、自分で苦労しながら、自分で答えを掴むしか、自分に力は付かないとつくづく思うのです。
自分に力が付いて来ると、どういう状況であろうとも、人間は堂々と歩めると思うのです。
人は、どんな状況だと堂々と出来るのか?
たぶん志と意欲のある時、人は堂々と出来る。と感じます。
皆さん!
堂々と歩みませんか。