エモーション通販|ルイボス一筋20数年のEMOTIONがお届けするルイボス化粧品

/
/
/
/
/
「香川湧慈のインスピレーションメッセージ平成26年10月3日」
想いが世界を変える-エモーション社長のブログ

「香川湧慈のインスピレーションメッセージ平成26年10月3日」

「有情活理(うじょうかつり)」が、自分が歩んで来ている信念であり、現在進行形なんです。
 
根底に情が有って初めて、理、つまり仕組みが活きて来るんですね。
 
人間関係全て、そうじゃないでしょうか。
 
会社は特にそうですね。
 
ビジネスの仕組みが良くても、そこに携わる人達に、経営者の情が注がれていないと感じる会社が余りにも多いのです。
 
ただ数字の業績が良いだけの会社やと思うのです。
 
そこで働く人達が幸福感を抱いているのか疑問に感じるんです。彼らの顔を見てたら。
 
また、どんな社員であっても、上に立つ者が「話せば分かる」と思ってやらないと、前には進めません。
 
ひょっとしてあなた、
分からん奴もおるで。って思ってませんか?
 
そりゃ、話しても分からん人はおるでしょう。
 
でも、あなたが上に立つ者であれば、あなたの方が「話せば分かる」と信じてやらないと、始まらんでしょ!と言うとるのです。
(人間関係全てそうやないでしょうか)
 
日本人は常に、上に立つ者への人間性を問うし、問われるのです。
 
上に立つ者が情を掛けて、「人間の幸福とは何ぞや」を諭して行く、導いてあげるから、少しずつ少しずつ年数掛かっても下の者が心を開いて来るんです。
 
社員の心の服を一枚一枚脱がして行くのは、情です。
その情にハラハラと触れた時、社員が自分から脱いで行く、脱ぎたいと感じるものやと思うのです。 
 
社員一人一人に、お前は生涯を通して、どういう人間に成りたいのか?
(一言で言うと、この自覚だけ持ってもらうのが、ワシの目的なんです。)
 
一人一人に「どういう人間像で、どういう人生を歩むのか」ということを仕事を通して本人が考える習慣を持てるよう投げ掛け、自覚に至るように促してあげるのが、上に立つ者の愛だという信念をワシは持っとります。
 
その前提が「話せば分かる」と、信じてやることやと思うとります。
 
上に立つ者は、しんどいですね。
 
でも、そういうことを生き甲斐に感じられないと上に立つ資格が無いように思うのです。
 
導いて行く為に、人生の相談事に乗ってあげる為に、人間性と問題解決のヒントを与えてあげられる哲学を、自分の考えを納得ゆくところまで掘り下げ、自分の「ものさし」つまり判断基準を持つ努力をやり続けないといかんのじゃないでしょうか。
 
ワシはそうして来ました。
情は、甘やかしとは正反対のものです。
 
厳しさの中に存在する優しさが情やと思う訳です。
 
どういう厳しさかと言うと、理念(生きる目的)に対して、出来ていないところを教育する、叱咤激励するということを「厳しさ」と言うのです。
 
そういう愛があるから、
優しさがにじみ出るのです。
あらゆる人間関係に於いて「人生の問題事」の解決のヒントは「家族社会」に潜んでいるように思うのです。
 
問題事が起これば「家族」に置き換えて考えてみると、ヒントが浮かびますから。
例えば、箸にも棒にも掛からん社員が居たとして、
まぁ、そこまででなくても社長の言うことが、理解出来ずに、同じミスばっかり繰り返しているとしても、
ちんぷんかんぷん訳わかめ。よう理解出来ない社員だとしてもですよ、
 
それを家族だと考えたら、捨てれますか?
 
例えば子供が三人居て、
一人がしょっちゅう警察に世話になる。或いは不良少女と呼ばれて、になっても、捨てれんでしょう。
我が子やから、情があるから。
 
大手企業は成果を出す社員を報いる仕組みがありますが、落ちこぼれ的社員を何べん言うても分からん社員を面倒みる風土は無いと思うのです。
 
中小零細企業なら、例え何べん言うても分からん社員でも、心を注いで一人前にして行く風土が存在します。
 
だから甘やかしは厳禁。
 
人間としての生きる道を、仕事を通して諭して行く、導いて行くのが「経営」です。
日々の仕事の中に人格教育が存在しているでしょうか?
労働と給料の交換だけになっては経営じゃないんですね。人の道が仕事に脈々と流れていることが経営だと思うのです。
 
理念を具体的に、よりハッキリさせて、理念実現の為の方針をよりハッキリさせて行くとどうなるか言いましょうか。
 
本当に縁が深い社員か、
縁が深くないかが霧が晴れるようにハッキリして来るんですよ。
 
トコトン本音で本氣で関わると、目に見えない縁が深いか浅いかがハッキリして来ますから。
 
社長が本音で本氣で関わってなかったら、本当は縁が薄いのに、会社にぶら下がっているだけの社員が蔓延(はびこ)ってしまいますよ。
縁が浅い人は、不思議と自分から離れて行くものです。
 
「来たる人には、優しさを」(この気持ちでやって来ました)
そして「去り行く人には、しあわせを」なんですね。
目的をよりハッキリさせて来たから、その為の方針をよりハッキリさせて来たから、縁が浅い人は、ここは自分の居るべき場所じゃないと本人の魂が判断して、去って行くのです。
 
だから、本来の縁深い場所で、しあわせにね。という想いがあるんです。
 
上に立つ者がトコトン本音で本氣で関わって、縁深い人達で人生を歩むのが幸福だと思うとるんです。
 
皆さんは、どうですか?