最近よく友人から「待ち合わせ時間や、出勤時間に、遅刻をよくする人がおるんやぁ」と話を聞きます。
結論から言うと、
もし、思い当たる人へ。
自分の「生き甲斐」を削いでいるのと同じになるのです。
何故ならば、
「責任感は、愛国心と社会的任務の自覚より生じ、
生き甲斐は、自覚ある行為から生まれる。」からなんです。
その自覚が足らないから、遅刻するんです。
分かりやすく例えると、
愛国心は、会社で例えると愛社心であり、個人に例えると、相手を愛する気持ちなんですね。
社会的任務とは、会社で例えると、自分の与えられた職責の全うです。
個人で例えると、親としての役割とか、様々な会合で受けている任務の全うなんですね。
責任感があれば自分の段取りを工夫するはずなんです。
段取りに気配りしないのは責任感の欠如であり、
誠実さの欠如なんですね。
また、昔から「段取り八分」って先人達が言うとるやないですか。
段取りがちゃんと出来れば、物事だいたい上手く行くという先人の教えですね。
誰が悪いんちゃう。
お前の段取りが悪いんちゃうかい?と自分に問い質す心の習慣をお願いします。
また、ついつい小さい約束を「まぁ、いいか。」で破るクセのある人や、約束してて、前日に「用事が出来たからキャンセル」って言う人へ。
昔からワシは、こう例えて来ました。
「うん、分かった。けど、こう考えてみ。
宝くじ3億円当たりました。約束のその日時に、その場所に交換に行かなければ、無効になる。と。」
「それでも、用事が出来たので私は行きません。」と言うてや。ってね。
行きたいんやけど、行けんわ。と言うのは、まあ、
「不可抗力」の時だけやと思うのです。
不可抗力とは、
行ってる途中で事故に遇うとか、当日、身体が動けないくらいの支障が出たとか。です。
もっぺん言います。
言い訳する人、好きですか?
好かんでしょ?
好かんまででもなくても、心地好いもんではないでしょ?
相手に対する愛情と自分のやるべき仕事の自覚が足らんから、遅刻するんやと自覚して、ちゃんとしようや。キチンとしようや。
「ちゃんと」という飲食店に昔行ったことあるけど、
ひょっとしたら、経営理念と店名を同じにしてるんやろうかねぇ?
一言で言い表しているよねぇ。
社員の「あるべき姿」を。
ちゃんとしてない人は、
ひょっとしたら、愛情の少ない人、心淋しい人かも。
または自分に内在する愛情や優しさを自分で無意識に捨ててることになるかも。
それこそ、もったいない!
どうか大人なので、
責任感ある立ち居振舞いを少なくとも、ワシの周囲の人達には、してほしいものです。
朝は、おはよう。
飯の時は、頂きます。
寝る時は、おやすみ。
紹介してもらったら、事の正否に関わらず、すぐに、行って来ました。の連絡。
当たり前のことやのに。
約束の時間は守る。
あやふやなかったら、
時間の幅を伝える。
何時から何時の間に行きます。と。
言われなくても工夫せないかんわなぁ。
業務も一緒。
お客さんに勘違いが起こらせない工夫。伝え方。
大事やでぇ。
あ、それと何か物が突然届いても、知ってる人からのお届け物なら「届きました。」の連絡するのが社会人やのに「なしのつぶて」がほんま多いのよ。
返事は、ちゃんとする。
ほんとに多いですよ。
年に約400人と名刺交換するけど、そのほぼ全員に手書きでお便りを、この25年毎日のように出してるけど、返事あるのは1割居ないんじゃないかなぁ?
留守番電話にしてるのに、留守番に、誰々です。くらい言うたらええのに、名を名乗らない人も多いのよ。
まるでリアルに訪問して、インターホン鳴らしておいて、どなたですか?って言ってるのに、無言と同じなのにねぇ。
そういうことを自分がしてるって、気付かないんやろうねぇ。
これじゃ、自分で自分の努力に穴空けてる行為なのにね。
ちゃんとしてたら、
結局、それら全部、自分の身に付き、生き甲斐ある人生に成るんやから、、、ね。
人間は誰しもウッカリする。
けど「ちゃんとする」心配りが、誠実な自分を創ると思うのです。
こと「仕事」に関しては、
同じミスを何度もしてしまうのは、もはや、プロではありません!!
耳の痛い皆さん、プロじゃないんなら、あなたがもらってる給料、アマチュアの給料に減額せな、いかんのと違いますか?!