人間の善とは、
その人それぞれの役割を果たすことである。
それ以外は善に非(あら)ず。と、
聖徳太子が言うてます。
自分の役割を果たさないと何をしても善じゃないんです。
自分の役割は何なんか?
それは自分の過去の体験を見つめてゆく中で、自分がこの世で『何を成す』為に『何を為そう』とすることが役割なのか、を見極めてゆく、自覚してゆくしか見出だせないのだと感じます。
そして、その自覚したことに一途に貫く生き方が善だと聖徳太子は言うるのです皆さん!
道徳とは何か。
山には山の道があり、
川には川の道があり、
人には人の道がある。
それぞれの持てる役割を、万全に果たすことが道徳。
一般的に言われている道徳ではないと思うのです。
人の道を果たそうとしている行為を道徳だと思うのです。
役割というのは他人に聞いて分かるものではありません。
先ず、志を立てることからしか、役割は見出だせないと思うのです。
役割が分からなくても、
志を立てれば、徐々に「これか!」と感じて来るものです。
会社や家庭に於いて、
一人一人の自分の特性を生かして、自分の役割を万全に果たすことが、
善なんです。
道なんです。
徳なんです。
智恵とは、外から身に付けるものではなく、
自分の内から出て来るものなんです。
つまり、
自分をどうするのか、を考える。
明日をどうするのか、を考える。
将来をどうするのか、を考える。ことが智恵なんです。
人を信用出来るというのは、人柄で判断してはいけません。
その人が、何を成そうとして、その為に何を為して来たかを観る(観察)こと。
これが「信」なんです。
口でいくら「ええ事」言うとっても、その人の今まで何をやって来たのかを観たらええのです。
無理の無い、無駄の無い、油断の無い生活態度を身に付ける努力。
日常のこと、細かな生活態度が教えられるかどうかなんです。
一つの事が究められると、他の事に工夫が効いて来るんです。
一つの事が究められて来ると、心の余裕が生まれて来るんです。
心の余裕が持てない人は、日常の細かな生活態度を振り返ってみて、いかんなぁ、と感じた事を自分の中の「良さ」で修正して行ったらええのです。
他人から、細かな生活態度の事を注意されたら、あなたの魂の親が、その注意してくれた人を借りて、教えてくれていると素直に捉えられないようなら、もうお終いですよ。
ほんまに。
一人一人の担当している業務に、”漏れ”は無いのか?を考えること。
この一言に尽きます!
自分のやるべき事に”漏れ”は無いのか?だけでええですから、毎日毎日、振り返ることが仕事であり、仕事に対する礼儀だと思うのです。
「礼儀知らず」になっては、いかんのです!
「礼儀知らず」に陥っては、いかんのです!
皆さん、礼儀知らずになってませんか?
一度振り返ってみて下さい。