人生は神と人との合作。
成功する者もあれば、
成功しない者もある。
その成功も子や孫の食い扶持を集めた成功なら、子や孫は哀れな生活となる。
(自分に子や孫の食い扶持を奪う気がなくとも、我欲で金儲けしていると、そういう事はあるんです。)
だから、今の成功は、ひょっとしたら奪っているかも知れないという謙虚さを忘れてはいかんと思うのです。
過去・現在・未来と常につながっているからです。
過去の結果としての現在が同時に未来の原因としての現在であるからです。
今、自分が行う行為が未来に向かっての種蒔きになるんだから、安易に今の行為を決定することは余りにも自分と他人の人生を蔑(ないがし)ろにすることになります。
今の行為の一歩を誤るが故に、生涯の災厄を招く人もあれば、今の行為の一歩が故に、未来に渡る成功への原因、絆となる人もあるのです。
神の世界に至ってまでの事を計算に置いた成功でないと真の成功ではない。
神の願いをこの現実世界に実現する努力が大事。
神の願いを実現しようと純心に努力するから、神が環境を整えてくれるんだと思うのです。
まぁ、会社の仕事をするから、給料が出されるもの。
自分勝手な行動をするのに会社が面倒を見てくれるはずはない。
会社の願いを実現しようとするから給料が出されるのです。
だから、神の願いをこの世に実現しようとするから神が環境を整え、それだけの幸福を与えてくれるのだと思うのです。
そういう観点で自分の生活行動を省みることをしてほしいのです。
神の願いが何なのか?
みんな良心があるんやから、想像してみたらええのです。
これだけは言えます。
神は、自分だけの要望だけは叶えてくれません。
神は「皆の為に」がないと、叶えてくれないと思うのです。
まぁ一言で言うと、他人の役に立つ心と行為です。
先に自分の金儲けじゃ、
ないんです。
自分は、この世に何をしに生まれて来たのか。を自覚しない者には、環境は整えてくれないと思うのです。
「自分は、この世に何をしに生まれて来たのか。」を自覚して、その自覚した事の実現に全身全霊懸ける。
自覚だけでは神の応援はないんです。行動が伴わないと。
その自覚が深ければ深いほど、神の願いが感じられるのだと思います。
つまり、神の願いを、少しはお手伝いする行動が大切なんです。
そしたら、神が「おぉ、よう手伝ってくれた。」と、丁度だけ環境を整えてくれるんだと思うのです。
余分はくれません!
丁度だけくれると思うのです。
余分はくれんのかぁ。
あぁ厳しいなぁ!
まぁ、だから神も人間も、こういう人は、愛情が豊かなんやと思うのです。
愛情が豊かだから、真の厳しさで接してくれると思うのです神は。
だから、余分はくれんのです。
余分をくれると碌(ろく)な事に使わんから人間は。
たまには、ほしいけどね、、、、、(笑)
神のご用を手伝うから、
自分の思いが叶うのです。
『神のご用を手伝うから、自分の思いが叶うんじゃ。これだけは忘れんようにな。単なる金儲けは何にもならん!のじゃ。何の為の金儲けか、というのが無いと。』
と道元禅師が言うとります。
自分の我欲の行動では神に「通じない」のです。
いくら頑張っても。