自分の価値観に合わなかったら、感情的に腹が立つ人の何と多いことでしょう。
気持ちはわかります。
腹が立ってもええと思うのです。
でも一々腹立ててたら、
自分がしんどいだけ。
だから、自分から「もっと崇高な自分」に変わる努力をしましょう。
ワシは、多様なる価値観を包括する器量を持てるように努力して来ました。
多様=様々な価値観
自分の価値観とは違う価値観を理解する器。
深く深く哲学を深めていると、やがて「ある心境」に到達するんです。
様々な人との「違い」を認められる心境になるのです。
また、奥深い哲学が芯に座った人の言動は、
そこまでの心境に達していない人達には中々理解出来ないと思うのです。
そして、その人の言動を、ついつい批判し勝ちになる自分の気持ちを、一旦鎮めて、そういう見方もあるんだろうなぁとか、
そういう捉え方もあるんだろうなぁ、と思ってみて、自分の価値観を深める材料にしたらええのです。
自分の言動が、相手に勘違いさせているかも知れないと考えてみることも大切。
あらゆる角度から見ても、勘違いは起こらないだろうというレベルに自分の言動が達しているだろうか、と省みてほしいのです。
そして、勘違いさせない仕事振りや言動に工夫を重ねるんです。
こういう心の習慣を身に付ける努力をしていると、
自身のスキルアッブになるし、表現力強化になり、
自分の言動が相手に勘違いされないようにもなってゆくと思うのですが、相手が自分の価値観を理解出来ないと、勝手に勘違いされますけどね。
多様なる価値観を身に付けてゆくと、腹が立った相手が、いつしか感謝に変わるようにもなるんです。
人は誰しも仏の心と鬼の心を持っていると思うのです。
人の表面的な言動で判断するんじゃなく、
自分の哲学をより深めてゆきながら、自身の仏の心で判断してゆくと多様なる価値観を持てるようになるのです。
だから、
いかんもんは「いかん!」
ええもんは「ええ!」と、
ハッキリ持論が打(ぶ)てるんです。
日本人として恥ずかしくない生き方を自分がやってるのか?さえ、
自己チェックしていれば、
ちゃんと充実した人生を歩めるようになると思うのです。
これを自省心と言います。
哲学を深めたいと思っていても、どうしたら深められるのかが、分からん人も多いと思うのです。
そういう人達に、今までの生活習慣を変える努力をせな、いつまで経っても変化はないわなぁ。と言いたいのです。
だから、おすすめする事は、哲学を深められるであろう環境に自ら自主的に身を置くしか、変身は出来んのと違うやろうか。と思う訳です。
自分で自分に、哲学を深められる環境を提供せな、誰が与えてくれますか!
あなたの思考が変われば、そういう環境との出逢いが訪れて来るようになると感じます。
自分の人生を振り返り、省みる時間を自主的に確保する。
何事も、お客さん意識でなく、主催者意識(ゲストでなくキャスト)にならない限り、哲学は深められないと思うのです。
そして、白鳥のように立ち居振舞いましょう。
水上では優雅に泳いでいるが、水面下では人目に触れない所で、ひたすら前進の努力をしている状態を白鳥と言います。
さぁ今から、少しずつ変化に勇氣を出して取り組みましょう。
船出の春なんやから。