あぁ~っ!解りましたっぁ!というかピン!と閃きました。
物質的財産を失っても構わない覚悟がある人というのは、
その時点では自分一人だけの状態の時だと感じました。
もし同居家族が居れば、
自宅捨てても構わないとは思えないものやからね。
意味深いんですが、
分かる人にだけ、分かるんだと感じるんです。
例えば、その時点で家族がいる人には、頭で理解は出来ても、
魂にまで入らないんだと感じるんです。
どうしても保身が働いてしまうのは当然だからです。
自分を捨てれないんですよ。そういう立場の人は。
良い悪いの感覚じゃないんです。
正に天からのメッセージだと感じるものなんです。
人生で最も大事なことは、『捨てる』ことではないかと感じるのです。
しょうもないプライド。
見栄。
真に守るべきものの為に、自分の物質的財産を捨てること。
中々、人は『捨てる』ことが出来ないと思う訳です。
でも、もっと大切なものの為に、捨てることが出来ないと、いかんと思うのです。
人間は『鋳造(ちゅうぞう)』(鋳方(いかた)に内容物を流し込んで物を作ること)では、いかんのです。
人間はやっぱり『鍛造(たんぞう)』(叩いて、叩いて、目的の形にして行くこと)でないと、いかんのです。
鍛造には、目的の形にする為の工夫の連続で、忍耐強く鍛え上げるしかないんですね。
魂からの覚悟が出来た人は覚(さと)りの境地だと感じます。
『さとる』には悟りと覚りの二つの漢字があります。
『悟(さと)り』は、
おそらく聖徳太子や空海や天皇陛下の国師のような人しか得られないんだと思うのですが、
『覚(さと)り』は、
自覚の覚だから、我々凡人でも得れると思うのです。
『ああ、そうか!』と自覚出来たら、次の自覚を得れるように精進する。
そして、より高い次元での自覚が得られれば、
また次のより高い次元の自覚を得れるように精進する。
人間は、この繰り返しで寿命まで歩むものだと思うのです。
また相手との『差』を取るから『覚り』に至るとも思えるのです。
つまり、差を取るから相手も自分も同じだと自覚できる感覚です。
そこでワシの自覚を今思い付くままを少し箇条書きに、いくつか。
『夫婦は二人で一つを生きること。』
『会社は皆で一つを生きること。』
『人は、果たすべき役割を果たす仕事を通じてのみ、素直になれる。』
『言葉でなく、言葉を発した人の意図を汲み取ること。』
『毎日毎日、感謝と反省を繰り返す以外に、真の人間には成り得ない。
人間とは感謝と反省を繰り返す生きもの。』
『反省してるということは、同じ失敗をしないということ。恥ずかしがらず、縁ある周囲の人達に反省の弁を述べる勇氣を出すこと。』
『人間として成長するには、一つの事を終わらすこと。何々しながらでは、モノにならない。』
『資料の裏付けの無い信念は、迷信や盲信に陥るのである。』
『一方を聞いて沙汰するな。』
『考えて考えて答えの出ぬ時は、感じたままに生きよ。己の役割を果たす事を選択せよ。』