今週は『学ぶ』ということの香川湧慈の解釈をメッセージします。
学ぶとは真似ぶが語源らしい。
真似(まね)ぶとは真似る事。
では何を真似るのか、
それは、神が先人に与えし智慧(ちえ)を真似る事だと思うんです。
何故、何百年も何千年も前に生きていた人物の考えや、生き様が後世である現在に残っているのか。
そういう観点で考えたことはありませんか?皆さん。
日本は日本の神々が後世の自分達に有意義な人生を歩んでほしいという願いがあって、
先人達に智慧を与え、その人達の考えや、生き様を残してくれているんだと思えてなりません。
考えるとは神還(かみかえ)ること。(かんがえる→かみかえる)
つまり、問題事が生じてるなら、良心に照らして考えて考えて考え抜くんです。
あなたの心の我欲を、ちょっと横に置いて、考え抜いてみて。
神の御心に心を合わせる者にヒントを与えてくれるんだと思うのです。
そう思いませんか?
その人の幸福(真理)にとっての『ヒント』を神が与えてくれるんだと、思うのです。
ただ神々は、人間の個人的な問題には関心はないんだと思うのです。
(それは人間自身が考え行動したらええことやから)
一言で表すと『国家安泰』を望んでいるんだと思うのです。
だから、
国家安泰というと難しく感じる人もいるだろうから、まぁ、世の中がより良くなってゆくことの為に、
自分に与えられた仕事を全うする者に、神は智慧を授けるものだと思うのです。
そういう観点が実は自分の人生を有意義に導いてくれるんだと思うのです。
先人が国家安泰の為に何を学び、何を考え、何を為して来たのかを自ら真似、
神還(かみかえ)り、実践し、初めて学ぶと言えるんだと思うのです。
究極を言えば。
先人達はそれぞれの時代に何を残して来たか。そして今、私は何を残そうとするのか。
今あなたが直面している問題事を先人の智慧を学んでいると、解決のヒントが浮かんで来ると思うのです。
様々な起こる出来事に臨機応変に行動する力を養うにはどうすればいいか、ということを考えるべき。
それぞれに与えられし仕事は、大黒柱の者もあれば、瓦一枚の者もある。
しかし、その仕事に大小は無い。瓦一枚無いだけで、国家という家は雨漏りがして家として成り立たないのである。
会社も同じ。
目的を共有した役割分担で成り立っているのです。
全てが大事な存在なんです。
目的を共有していないと、役割分担にはなりません。
目的を共有していなことを『バラバラ』と言うんです。
だから、全員が社長の志=経営理念=全社員の将来像(いいですか!経営理念は全社員の将来像のことだとワシは思うとります。)に共感し、一人一人に与えられた職責を誠心誠意果たすこと。
この『現在進行形』が、 しあわせ(仕合わせ=幸福)な状態と思うのです。
ただ単に職責を果たすのでなく、誠心誠意果たさないと意味を成しません。
自分の人生を、自分の所属する組織(家庭・会社・団体等)を、しあわせな状態で居続ける為に、神が与えし先人の智慧に『学ぶ』ことをしてほしいと願うばかりです。
そういう事が、愉しく納得行く、深い人生を歩めるコツだとワシは思うとります。
何故、毎週毎週メッセージを発信するのかを一言で表すと、気付きのキッカケを与えたいだけなんです。
『希望に溢れた丁寧な生活』をしてほしい為に。