心に余裕が持てているから、細かい所に氣を配れるのです。
例えば、器に微細な画を描く作業や、まつ毛エクステを一本一本きちんとする作業や、
ネイルアートの細かい作業も、心に余裕が無ければ『ちゃんとした仕事』は出来ないように、
事務仕事や、営業センスも同じなんです。
『一事が万事』なんです。
心に余裕があるから、微細な所に氣が配れるんです。
見た目には、芸術的作業と事務仕事や営業センスは違うように思われているでしょうが、
それは大間違いです。
芸術的作業がちゃんと出来る人なら『種目』が違うだけで『その氣』さえあれば、
事務仕事や営業センスを磨くことは、出来ます!
ただ『その氣』が向かないだけなんです。
でも、せっかくの技術を持っているんだから、生活態度にも、その繊細さを活かして下さい。
あなたの『思いやりの心』が、より育まれますから。
何が言いたいか。
細かい所に『氣配り』が出来る人は、思いやりのある人なんだと言いたいのです。
見た目の言動だけで、人の『思いやり』度を判断してはいけません。
些細な、ちょっとした事がちゃんと出来ているか、で判断したら本心が窺い知れますから。
裏を返せば細かい所に氣配り出来ない人は、自分勝手が強いのだと思う訳です。
細かい所を丁寧に、きちんとする訓練をしていると、実は『人を思いやる心』が育まれるんです。
FAXが来たら10分以内に返信する。とか。内容の返事でなく、確かに受け取りましたよ、
と相手にちゃんとお返事する。(エモーションでは徹底させてます。こういう事を。)
まぁ何かにつけて『返事』せん人が、多いわほんまに。しかも商売してる人がやでぇ。
いわゆる勝手に無造作に送ってくる営業のDMじゃないんだから、知り合いから何か送って来たら、
手段は何でもいいから『返事』くらいするのが礼儀なのに、返事せん人が、ほんま多いですよ。
自分の得にならないと感じているのか?相手を見下しているのか、
自分勝手が強いのか、思いやりの心が乏し過ぎるのか。
『ちょっとした事』に敏感さを身に付けないと、思いやりの心は、育まれないと思う訳です。
話は変わるが、
好きな経営者に『出光佐三』という立志傳中の人物がいます。
(あの松下幸之助より八歳年上の人物です。)
出光佐三の生き方は、ワシは好きやなぁ。気分がええ。痛快やし、思いやりが溢れとる。
社員五十名くらいの時のエピソードですが、
出光は、丁稚(今で言う新入社員)一人一人に手取り足取り、
掃除の仕方、伝票の書き方など、徹底して直接教えて、育て上げた。
『出光の商売は、君たちの書く伝票一枚一枚から成り立っているんだぞ。
そこのところを忘れてはいかん。』と、いつも言っていたそうである。
ある時、福岡支店長をしていた(後に『出光』から巣立って日本通運の社長を務めた)
安座上(あざかみ)支店長の下に丁稚が入社。
安座上支店長は、一枚の伝票を、書いた丁稚を呼び寄せ「覚えがあるだろう。よく見たまえ。」と。
丁稚「はい。一昨日出した伝票だと思いますが、、、」
一昨日出して本社に送られ、出光が見て、また送り返されたものであった。
赤鉛筆で、大きな字のなぐり書きが。
『字か絵か』と、
出光の直筆で書かれていたそうです。
丁稚「申し訳ありません。忙しかったものだから慌てて、、、字か絵か判らんような字を書きまして、、、」と。
「店主(出光のこと)は、こんなに注意しておられるのだ!我々も、たるんではいかん。」と
安座上支店長が諭す。
この幹部である支店長の、社長の心を汲み取り、社風を大事にしている姿勢が、窺える。
部下に示唆を与え、伝票一枚からでも、人間としての生き方を大事に育んでいることに感銘を受ける。
細かい所への氣を抜かない徹底さ。
資本よりも組織よりも人間優先。
『これくらい、まぁいいやん。』この、ちょっとした氣の緩みが、人間成長を止め、
堕落へと無意識に向かわすのです。
いいですか!皆さん。
『ちょっとした事』を徹底出来る人に成るよう自分で意識して、訓練して下さい。
一に、意識。二に、意識。反復訓練しか、身に付きませんから。
何でも一緒や。
どうか、細かい所に命を注いでほしいのです。
一流の人は、どの分野に於いても、細かい所に対処出来る人ですよ。ほんまに。
一生一度やで。
一流を目指しませんか!
徹底している人は美しい。これを『徹美』と言うんです。
理想や完全を目指して、
一所懸命、徹している間だけ、美しいのだと感じます。
美しく在りましょう。