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「香川湧慈の今週のメッセージ」平成25年2月1日
想いが世界を変える-エモーション社長のブログ

「香川湧慈の今週のメッセージ」平成25年2月1日

物事の判断基準つまり、
自分の『モノサシ』を持っていない人が、まぁほんまにようけ居(お)る。

実に情けない次第です。

しかも、世間で言う『ええ歳』してる人達に多い。

『ケチくさい人』と
『ケチくさく無い人』
どちらが好ですか?

『だらしない人(物事を安易に考え行動し、丁寧に考えない)』と
『だらしなくない人』
どちらが好ですか?

あなたは、自分を客観的に観て、ケチくさい人ですか、気前のいい人ですか?
どうか気前のいい人であって下さい。

生活が、だらしない(物事を安易にし、丁寧に行動しない)人ですか、
思慮深い人ですか?
どうか、思慮深い生き方をして下さい。

例えば礼儀。

本来礼儀とは、人が礼(お辞儀)をする時、どこが見えるか。自分の足元が見えますね。
つまり、礼とは自分の足元を見つめる自己反省のこと。

相手に対して自己反省しつつ、自分がその人に何を以てお役に立てるのかを内観して、
その気持ちを表す(行動)ことが、礼儀なんです。

また、相手に会った時、その人から何を学んだのかを、相手に見せることが礼の道なのです。
例えどんな人と会ってもです。

『世間体や義務感』では決してないのです。

そういうことを自分の内面、良心に問わな、いかんことすら、
全く解ってない人が多いと感じませんか。

例えば冠婚葬祭のお祝いやお香典もそう。

割り勘のようなことをしている人が多過ぎる。
※同僚や友人と飯食べに行ってるのと違うのに。

自分の気持ちを『割り勘』的に安易にしてはならない。これこそ『失礼』というものです。
そんなことしてたら、あなたの人生『割り勘』になってしまうで。ほんまに。

これでは、その人に対する『気持ち、想い』が無いのと同じ。
※気持ちが有ったとしても、行ないが思慮深くなく、軽いからか、
はたまたそこまで想う対象で無いか、なのでしょう。

何故、他人(ひと)と合わすのか?こういう事は合わす必要はないのに。自分の想いの表現なのに。
他人と合わさなければいかんものと、合わしてはいかんものの違いすら解ってない、
いや考えたこともない人が多いんだろう。

こういうのが、自分の人生を丁寧にしたいと思っていないということです。

※『自分らしく』生きたいと皆思ってるはず。

なのに、想いを行動に表さないから『らしく』生きれないのよ。
皆さん『善悪の善』とは、時と処(場)と位(立場)に相応しい行動が出来ている時、
初めて『善』に成るのです。浅はかな自分の考えで『善悪』を判断してはいかんのです。
それが出来ている時『らしく』生きれているのです。だから『らしく生きる』って思慮深いものなんです。

斯く言うワシも自分で皆さんにメッセージしながら、果たして『らしく』出来ているのか、
いつも内観し、反省しているのです。

あ、冠婚葬祭の件だね。

金額の多い少ないの問題でなく、自分が、その対象者に対する『想い』を今自分のしてあげたいことをしてあげれば良いという考えすら浮かばない人が(様々な事象に出合ってみて)多いと思うのであります。

清い心でしてあげたものは、ちゃぁ~んと、回り廻って自分に返って来るのよ。ほんまに。
しかも何倍かになって。
これも体験者(ワシ)は語る、やから。

見返りを一切求めていないから、神さんが、その人に相応しいことで返してくれてるんやろうと感じます。

判断基準つまり、モノサシは、自分の背筋がピン!となるような、
自分を諫(いさ)めてくれるようなモノで、自分が後で心嬉しくなる、
スッキリするようなものでないと『モノサシ=判断基準』に成り得ませんよ。と言いたいのです。

そこに妥協は存在しません。信念や、気持ちや、感謝が存在するだけなのに。

誰しも、自分の内面に、そして自分の良心に聴いたら、自分の心の曇りや垢が取れるのに。
これが『素直』になるということだと思うのであります。

そういう時に、ケチくさくなってはいけません。
だらしなくなってはいけません。

どうか、ワシの仲間、友人知人には、その素直なモノサシを確りと持ってほしいと思うのであります。