善(よ)き友を得る。
同じ価値観を持ち、
同じ方向を歩める友を持つことが、実はすべての人間の人生の目的だと思えてならない。
だから、一生一度なんだから、自分から積極的に新たなる出逢いをして行けばええのに、
せん人が何と多いことか、、、
予期せぬ出逢いが、良縁を呼ぶことが多いのよ。
また、良縁を呼び込むコツじゃないかとワシは確信してることがあるんや。
それは、
電気代や水道代や食費と同じように、毎月絶対に必要なもんは、
払いたくなくても払わないかんやろぅ。
自己啓発と、健康管理、体調管理、気分管理になる事に身銭を使い続ける。
体調管理費・気分管理費・自己啓発費を毎月予算決めて、これをケチらない事なんや!
これらの
『定期的継続』が、実は、『良縁・良運』を呼び込むということをワシは体感しとるから、
縁ある人達に、口酸っぱく言うとるのよ。
気に入った事があったら、銭ケチらんと、毎月の自分磨き費にせんかい!!と。
『定期的』が扉を開くカギやで!嫌な事せえって言うとんのと違うんやで。
気に入ってるんやったら、定期的にしてなかったら、こういうことと一緒なんやで。→
困った時だけ利用するのと同じなんよ。その人を。それを『自分勝手』というんやで。
自分勝手になったらいかん!
まだ困ってない内から、活用させてもらうという考えが運を呼ぶのよ。
そういう捉え方が、人生を大切にしてる。ということなのよ。
さぁ、縁の話に戻すわな。
縁には『助縁』と『逆縁』というのがあるんや。
両方大事で大切なんよ。
助縁とは、影に日向に自分を応援してくれる人。
まぁ、これは有難いよねぇ。
でも、助けてもらうばっかりの人だと人間、腑抜けになってしまう恐れがあるんやなぁこれが。
自分がやる事為す事、反対する邪魔する人の縁が、
逆縁なんや。
これも実は、自分を確りさせてくれる良い縁、必要な縁なんよなぁ。
この心境が解らないかんでぇ。
だから、全て出逢い、縁というものは、感謝やなぁと感じられる感性が自身の心を豊かにするんちゃうかなぁと思う。
『縁を尊ぶ』という言葉をみんなは、知っとるかなぁ?
仏教の言葉に『袖触れ合うも他生の縁』という、袖が触れただけの縁であっても生まれて来る前からの縁があったからだ。という考えがあるのよ。
国と国との外交も、会社と会社との付き合いも、個人と個人との信用以外に何も無いと思うのです。
個人と個人との縁で動く以外の何ものでもありません。
人間は何が縁で、間に合うか分かりません。
今ここで憎しみあった相手でも、どんなことで将来、間に合うか分かりません。
憎しみ合い、喧嘩した相手でも、将来自分を助けてくれる人にならないと誰が言い切れますか?
何が将来の助けになるか、分かりません。
そういう意味合いで、縁というものを、例え仮初(かりそ)めであっても、その『縁』を尊ぶという気持ちを持つことが、指導者として必要だと思うし、そういうことを大切にしている人は、善き友を得ているのではないか。と今週は言いたかったのです。
ご一考あれ。