皆さんは『求めてやまない心』を持っていますか!
僕の言う『求めて』は『深めて』という意味を重ねています。
『求めてやまない心』がある限り、人生に勇氣と希望が湧いてくるもんです。
まるで真の教師なら、
教え子が卒業後どのように伸びてゆくかというところに、その最大の楽しみを見出だすように、、、、、
『※ちなみに、在校中からすでに生徒の信頼のない教師は下であり、『教師』とは言えん。
在校中は、生徒の信用がある教師は中や。
上の教師というのは、在学中は、生徒の信用はあるが、その真価は、生徒には十分には分からんもので、卒業後現実の人生にぶつかるようになって初めて、その真価が分かり出し、年と共に次第にその値打ちが分かって来るという教師を言うのです。
これが、真の教育者、教師と言うべきやろう。』
また、
親なら、我が子がどのように人間性と自分の備わった能力を伸ばしてゆくかというところに、最大の楽しみを見出だすものやし、
(親も「上の教師」に成らんといかんわなぁ)
真の社長というのも同じや。
社員達の人間性と社員自身の備わった能力をどう伸ばして自己実現してゆくかというところに、
最大の楽しみ、喜びがあるものです。
まるで、
庭師が自分の手入れしている植木が、次第に育ってゆくのを眺めて毎日楽しんでいるようなものかもしれんなぁ。
しかし、庭師はただ放って置いて眺めているだけではないんやな、これが。
水もやれば肥料もやる。時々植え替えもし、不用の枝は切り払う。(不用の枝=社風を乱す治りようの無い社員は、切り払う勇氣が社長や幹部になけりゃいかんで)
そのように『常に手入れ』をせんことには、立派な植木はでけんもんです。
会社も一緒やわな。
真の教育というのは、常にそれぞれ『手入れ』せないかんのよ。ほんまに。
そういうことを
『求めてやまない心』で
あってほしいんや、みんなに!
『深めてゆく探求心』を。
これ、せんかったら人間と違うなあ。犬や猫の単なる『動物』やわ。求め深める心が在るのが人間やから。
分かっとんのかなぁ、ワシの言うとること。
実行出来とったら分かっとるということですから、
そこんとこヨロシク。